久米島の由緒ある観光名所~「黒石森城」と「太陽石」

「風のもとてもの あさてなるみ風 今日にたほり」

この歌は、当時の島の女性たちが皆で合わせて歌った歌謡です。
「黒石森城(くるいしむりぐすく)」と言う景勝地にある古い歌碑に刻まれています。
文献では、ここにも「城(ぐすく)」があったようですが、遺跡、遺構の類は残っていません。
この歌碑も古いものですが、戦前頃の物だろうと言うことです。
はっきりしていないのが妙ですが、この歌碑の隣に、新たに解説する石碑が立てられています。
歌の意味は、「今は風が穏やかだけれど、王子が起つ日(明後日)と代わることを望みます。」と言う内容です。
離島ですから、移動は海上航路を使用するしかない当時の航海安全祈願の歌です。沖縄本島へは100kmですが外洋です。
大きく安全な船舶は望めませんから、命がけの移動だったはずです。

現在は、久米島観光巡りのコース上にここはありません。久米島の島民も忘れそうな場所です。
実は私も今回まで知りませんでした。妻の父上から昨夜教えてもらい、訪ねたのです。近辺に民家はありません。
悲しい程静かです。(妙におセンチなぼくでした。)

ここ「黒石森城」への案内表示は見つけられませんでした。ただ、少し離れて、「黒石森公園」があります。
この辺りかなと思い、地元の人に尋ねましたが、わかりませんでした。理由は、私の発音に問題があったことが後でわかりました。
歌碑にも説明石碑にも、また、公園の案内にもフリガナがないので、
「黒石森城」を「くるいしむりぐし(す)く」と発音することを思い出せなかったのです。
父上からは聞いてはいましたが忘れていました。

下の写真は、「太陽石(てぃーだいし)」と呼ばれている石です。非常に古い石です。

石森城と太陽石

古(いにしえ)の担当者が定位置に頭を固定し、そこからこの石を通した視線と太陽との角度から時刻を導いた。とのことです。
「太陽石」の隣に墓石があります。古い墓石です。
観光客には疑問が起こらない風景ですが、長く沖縄に住む私には、異様な光景です。墓石の形状が古いにも関わらず、本土と同じものだからです。
撮影を思いついたのですが、すぐに思い直しました。他人の墓を写真にするのは無礼かなと思ったからです。ゲゲゲの鬼太郎に出てくる墓石と同じ形でした。

今年の夏休みにも久米島へ行った際、「太陽石」を訪れました。撮影が目的でしたが、叶いませんでした。
夏休みですから観光シーズンです。「太陽石」に向かう道路にタクシーや「わ」ナンバーが渋滞していました。
徒歩で行ってみると、沖縄特有のある宗教関係者が宗教儀礼の挙行の最中でした。(高級外車で、この人一人)。
この石にお供えと線香を添え、拝んでいました。記念撮影をしたい観光客が手払いされていました。
観光客を連れてきたタクシーの運転手が拝んでいる人物に怒鳴っていましたが、聞く耳はなかったようでした。

沖縄・備瀬の「フクギ(福木)」と久米島・宇根の「チュラフクギ」

フクギ(福木)は日本原産ではない立木です。沖縄県内ではよく見かけますが、外来種植物で、
フィリピン方面から意図的に移植されたそうです。私は、この木は好きです。可愛らしいです。
20cm程の綺麗な楕円形で、ぷよぷよ肉感のある厚みの葉っぱが行儀よく地面に対し垂直気味に生えています。
果実は人間の食用ではありませんが、蝙蝠(コウモリ)の好物です。

フクギはわざわざ移植したということですから、役に立つ木です。沖縄の古い民家が残る集落では、建物と建物の間に植えられていることがあります。
これは、防火を目的としたそうです。四国の「うだつ」みたいなものでしょうか。フクギは耐火力が強い木だそうです。
葉っぱが丈夫で木自体の自立力が強いことから防風林として盛んに植えられました。

沖縄本島の名護市北部に「備瀬」と言う集落がありますが、ここのフクギは景観美として、「備瀬のフクギ」の名で知られています。
観光スポットとしても人気のようです。木立が松の様に曲がりくねったりしませんが、
葉っぱの付き方が独特なこの形状は隙間を造らないので「壁」のような使い方を好まれます。
「フクギ」は眩しい西日を遮るにはうってつけで、並木にも利用されます。

久米島の福木並木

この写真は、久米島北東にある集落「宇根」の「チュラフクギ」と呼ばれている並木です。
舗装のない昔は大変長い並木道だったそうです。この地域は海岸まで隆起はありません。
海岸線にも「フクギ」が植樹されていたそうですが、現海岸は人工海岸で今は面影はありません。
ここには、島内に2か所ある、「海洋深層水」関連施設があります。見学もできます。

初めてこの「チュラフクギ」並木を見たのは、この先すぐにある「真泊港」と那覇「泊」を結んでいた高速船「ぶるーすかい」に乗って渡航した時でした。
1993年でした。当時は久米島への海上航路はこの「真泊港」と裏側の「兼城港」の2か所でした。これには一回しか乗っていません。
もうありませんから利害関係を配慮せずに語りますと、「2度と乗りたくない」船でした。実際、乗客も見るからにタフネスな男しか乗っていませんでした。
私の体は幸い、船酔いをする上品なものではありませんでしたが、腰が痛くて大変でした。
出航し、すぐに、確かに速い船だなと思って束の間、泊港内を出てすぐに、マックス。途方もない速力でした。
カタマラン型の小さな船体が「揺れる」ではなく、下から突き上げるような衝撃があり、騒音も酷く大変な目に遭いました。
そもそも、料金が高いのです。敢えて海上航路の選択肢にこの船を選ぶ理由がありません。
しかも、小さな波浪で欠航します。旅行計画が立てられない航路でした。
現在の「真泊港」にはターミナルの廃墟が残っています。

久米島の「阿嘉のひげ水(髭水)」は雄大なおすすめスポット

初めて「阿嘉のひげ水(あかのひげみぢ)」を訪れたときは、自動車を運転していてすぐに判ったのですが、今回は迷いました。
彷徨いました。
「そうだ。スマホでナビだね。」と独り言をいって、ボイス検索し、ナビを開始しました。
「検索できません。」困ったなと思いながら、画面を確認すると、印つきで、ちゃんとあるんです。
そこで、この辺りのはずだから少し離れてナビゲーションしてももらうことにしました。

今度は、地図上の「阿嘉のひげ水」をタッチして、開始しました。
「到着しました。お疲れ様でした。」と。
そこで、ついでにとった写真が以前に紹介した久米島の「大パノラマ・ハイウエイ」の撮影現場です。
「なくなっている。」そんなわけないのです。というのは、「阿嘉のひげ水」は雄大な自然の景色ですから、
道路の新替えぐらいでなくせない観光スポットです。

そこで、旧道やら、集落道路やら彷徨ってやっと見つけました。
「阿嘉のひげ水」には観光用の案内表示が設置されていないのです。
「阿嘉のひげ水」は久米島ではおススメのスポットなのですが、残念です。しかし、しょぼくなっていました。
以前に見た「ひげみぢ」はこの切り立った断崖の壁面から幾本かの白い水を湧き出していたのですが、
現在は僅か一本を確認できただけでした。
近寄れないところから落ちてきているので、この水の味見はできませんが、昔は良水だったとのことです。

実は、私は今回まで、誤解していたのです。「阿嘉のひげ水」の阿嘉はこの辺りの集落の地名です。
「ひげみぢ」は、壁面から滴り落ちる水が「髭」のようだ。ということと思っていました。
だれもいない駐車場に石碑があって、そこに「 阿嘉のひげ水」の由来が書かれていました。
その髭は、この滝が細く落差が大きいため、下には届かずに、風に煽られている様を言ったものでした。

久米島の阿嘉のひげ水

写真中央の黒い線状のところが、滴り落ちている湧き水です。この壁面のいたるところから筋状に染み出ていました。
本土に幾つかある「白糸の滝」より細く、落差があります。また、川が落ち込んで形成されている滝ではなく湧き水です。
なくなってしまった理由として考えられているのが、ここも「開発」です。
過疎が進んでいる島なので、この道路建造や宅地造成でもなく、この島の基幹産業である耕作地を整備し、
若者の流出を止めようとした「土地改良事業」の結果だそうです。
これは、全島を対象とした大規模な開発事業でした。
耕作地の土を根こそぎ入れ替え、併せて直線による区画整理を行ったのですしかし、若者の流出は止まりませんでした。

「熱帯魚の家」は久米島・天然の水族館!?

沖縄県には中小含めて殆ど製産業がありません。そのため、大量の工業用水確保のためや、
材料輸送のために海岸線に工場を建てるということがありませんから、海岸汚染がなく美しい海に恵まれているのでしょう。

一部、家畜のし尿が汚染源となったり、内陸部での工事で川に赤土が流出し、サンゴの白化現象を起こしたことはあります。
家畜はずいぶん減りました。バブル後、宅地造成開発も止んだようです。

沖縄へ海路で渡航される人は減りましたが、私が初めて沖縄を訪れたときは、大阪南港を出発したので、
沖縄新那覇港に着岸するとき舷側から覗いた海面の美しさは忘れません。
港湾内だというのに、海底まで見える透明度に感動しました。
沖縄の海岸線で泥や土の天然物以外で濁った所を見たことがありません。
しかし、沖縄でも、自然海岸は減ってしまいました。残された天然海岸の潮黙り(タイドプール)では、
可愛らしい小魚を見つけることができます。
金属的な真っ青の魚、オレンジ地に黒、白の太いラインのクマノミが定番のメンバーです。

沖縄では「美ら海水族館」が世界的に有名で、観光の目玉、いまや人気ナンバーワンといっていいでしょう。

で、久米島には「熱帯魚の家」があります。天然の生体を観察できます。
ただしこの「熱帯魚の家」は、本島の「美ら海水族館」とは違って、準備が必要です。
準備物件は、スニーカーとパンです。

久米島の熱帯魚の家

「熱帯魚の家」の場所は、久米島北部の集落「比屋定」にあります。
レンタカーで県道を走ると案内が出ていて、この案内が大変な数あって、観光客が絶対に迷わないようになっています。

しかし進んでいっても、近代的な建造物は見られません。本当にあるのかな。
で、案内通り進むと、この写真です。久米島一寸関係者の私には、一寸厳しい気分になります。
写真は、入口?を入って向かって左を撮っています。
しかし、案内には、「右の水溜り」と書いてある。そもそも、「水溜り」がおふざけなのでしょうか。
普通、「潮溜まり」でしょう。潮溜まりですから、波や潮位で海水が交換されるので、そこに住み着いているとは考えにくいです。
私がこれを撮影した時は、明らか左の方が賑やかでした。

実は、ここ「熱帯魚の家」へ撮影に来たのは3回目です。熱帯魚はいつもいます。
そうではなくて、被写界に入れたくなかったのです。大勢います。人が。

「熱帯魚の家」には駐車場はありません。袋小路です。
「わ」ナンバーがリバースで入れ替えたりなんやらで、観光客はみな眉が富士山です。

そこで、撮影しようとカメラを持っていくと顰蹙を買うのです。
「期待満々でやってきて、がっかりしている自分の姿を撮られたくない。」その気持ちよくわかります。

「ミーフガー(女岩)」は久米島の子宝パワースポット

日本全国、「子宝祈願景勝地」がありますが、大抵、ご神体ですが、こちらは見ての通りです。
写真の岩が「ミーフガー(みーふがー)」です。

久米島の子宝祈願所

「女岩」と書いて「ミーフガー」と読ませていますが、女岩を方言で「ミーフガー」とは発音しません。
近いもので、「みーとぅ」がありますがこちらは「夫婦」です。ちなみに、「女」を表す方言は、「うんな」、「いなぐ」です。
多分、「膣口状岩」のことです。よくみると、二つの岩が最上部でくっついています。
解説の中には、この様子を「夫婦が寄り添うようだから」と書くものも見かけますが、明らかに「穴」がポイントです。

この「ミーフガー」も、ロケでよく使用されます。大きさを知って頂きたいと考えていたら、
丁度、子宝に恵まれていないご夫婦でしょうか、歩いていらっしゃいましたので。
その方が遠くへ行って、顔が判らなくなるまで待って写真を撮りました。丁度くぐる手前ですが、この穴はくぐれれません。
そのまま海です。この岩まで行くには、荒々しい岩肌を歩く必要があります。スニーカーがいいですね。コケると膝小僧と掌から血が出ます。

広く、真っ平な地形からいきなり立っている感じです。
初めてここミーフガーを訪れたときは、ずっと手前に自動車を止めることができるだけで、
結構な距離、この危ない岩肌を歩かねばなりませんでした。目的は「釣り」です。
小さいけれど高級魚の「いしみーばい(ハタの仲間)」がよく釣れます。

久米島内の観光スポットで、売店、自販機、トイレが備わっているところは限られています。
ここミーフガーにも、何もありません。
とってつけたような土産物をごちゃごちゃ並べられたら、幻滅して、
ゆっくり観光できませんから歓迎すべきことです。久米島はこの雰囲気がいいところです。

この岩の前の駐車場は、少し前「具志川城跡」の駐車場でした。これのすぐ後ろにあります。
前回の写真の右下がそうです。
この岩の左に見える小さな岩島のことを「男岩」と言って解説するガイドさん(男性)を見たことがありますが、嘘を付いています。
「その岩がこの穴を拝んで子宝作りに励んだから、云々。」そんな話は言い伝えにもありません。
「男岩」は実在します。「がらさー山」です。それは、フェリーが着岸した「兼城港」の近くにあり、全然場所が違っています。

久米島観光ではここ「ミーフガー」は落とせないようです。ウイークデーで、このようなシーンを写真に収めることができる日は滅多にありません。
要するに人気スポットです。場所は島の北海岸で、非常に深い海です。マリンスポーツの対象外海域です。

沖縄の「城跡」をご紹介。久米島には4つのこっています。

沖縄県内にはたくさんの城跡があって、いくつかは世界遺産に登録されています。
この他に「じょう」と読む文字で「門」があります。
「ぐすく」は、城を意味していますが、「じょう」は門を意味していません。
地名に使用され、広がりを持った場所である場合が多いです。そこに門はありません。

沖縄の「ぐすく」は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」と言う名称の世界遺産です。観光ルートには必ず入ってくるでしょう。
沖縄県内に数多くの城跡(じょうあと)が残されています。
その中で世界遺産に登録されている城跡は、「今帰仁(なきじん)城跡」、「座喜味城跡」、
「勝連城跡」、「中城(なかぐすく)城跡」及び「首里城跡」の5城跡です。

久米島には、確認されている城跡が4つありますが、文献によると元々は10以上あったようです。
「城跡」と書いて、沖縄では「じょうし」と読む方が大勢いらっしゃいます。「じょうせき」も多いです。
世界遺産では「じょうあと」らしいです。

城跡

久米島の城跡で、表札が立てられて場所が特定されているのは、
「宇江城城跡(うえぐすくじょうあと)」、「具志川城跡」、
「伊敷索城跡(ちなはじょうあと)(難読なため、「いしきさくぐすくあと」と呼ばれることもある。)」及び
「登武那覇城跡(とぅんなはじょうあと)」の4つです。実際に城壁の痕跡を残すのは、
写真の左下の「具志川城跡」と残り3ショットの「宇江城城跡」です。

琉球王国は島嶼(とうしょ)国家でしたから海岸線に「見張り、監視」を目的に築城されたケースが多いのですが、
内陸部の城もありました。
こちらの方は、住居とした意味合いが強いとされています。
住んだ人物は王族の近親者で、政府高官用高級住宅と考えていいでしょう。

沖縄の城は、どれも本土の城とは違い、「要塞」の機能はなかったようです。
天守閣もありません。すべて朽ちてしまったので、基礎部分の石垣が残されているだけです。
戦前に唯一残っていた城が那覇の首里城です。空襲で破壊されました。
それまで、居住可能な保存状態ではなかったのですが、当時の調査による詳細な図面や資料が残されていたので、
1992年に正殿とその周辺の建造物の復元が完了しました。戦前の首里城は、源為朝をまつる沖縄神社の一部として国宝でした。

写真の城に戻ります。左上の写真は、沖縄でよく見かける風景です。
城の目的と現代に日本国家の目的が同じであることを示しています。
「城と航空自衛隊レーダーサイト」のペアは県内にいくつも見られます。
その隣が城の前景です。左下は現場です。
このフレーム外には、工事現場用鉄パイプで作られたみっともない階段があり、酷く景観を壊しています。

久米島の絶景「はての浜」は360°白い砂のみのサンゴ砂の砂州

フェリーで久米島兼城港に着岸しました。慣れた作業で手際よく岸壁とフェリー左舷にタラップが設置されます。
上陸です。
前もって、連絡を入れておけば、ここでレンタカーを受け取ることができます。
一日中船にいると、どんなに凪であっても、陸に上がったら地面が揺れているような錯覚を起こすのですが、
3時間ですから、何ともないでしょう。航海中は、10分程度の短い時間、スマホが不通になります。
途中に有人島がありますから、長く不通にはなりません。

那覇と久米島の間にはこの渡名喜島のほか慶良間諸島があります。
この慶良間諸島は2014年に「慶良間諸島国立公園」に指定され、日本で一番新しい国立公園です。

久米島は「久美の島」と言われますが、これは、観光キャッチです。
由緒は「コメの島」です。
沖縄方言は「U」が「O」に母音変換される傾向があります。それで「クメジマ」です。
沖縄へ来ると、畑で目に付くのは「サトウキビ」です。沖縄の基幹産業作物です。
しかし、沖縄のサトウキビは1623年の栽培が最初とされていますが、当時、砂糖の需要はほとんどなく、
本格的な作物となったのは、100年前程のことです。
久米島は明治初期では全耕作地の4分の3が水田でした。
開墾などで広げられたサトウキビ畑が本格化するのは明治21年以降です。
つまり、琉球王朝の時代から久米島は琉球国民のコメの一大生産地だったのです。

年に数度は訪れる久米島ですが、いつ来ても、必ず新しい道路ができているような気がします。
写真の道路は今回初めて通りました。車窓から臨む太平洋の大パノラマは圧巻です。
この道路の縁石の状態を見て、出来上がったばかりの道路であることがわかります。久米島の北東海岸を走っています。
海岸には「海洋深層水」関連企業施設や研究所があります。沖縄県は、クルマエビの養殖生産量日本一です。
この辺りにもクルマエビの養殖場が集中しています。

久米島大パノラマ

写真の水平線右に白い陸地が見えます。ここが「はての浜」です。
「ハテの浜」と表記することもあるようです。サンゴ砂の砂州で、そこへ行くことができます。
美しい海面と晴れた空、真っ白な砂浜だけのシーンを必要とする撮影によく使われるロケ地で有名です。
この「はての浜」、最近観光スポットとして注目されています。360°白い砂のみです。真夏は残酷なほどの日射です。
それを体験するために行く観光客がたくさんいらっしゃいます。夏至(げし)の前後の数日、正午に行くのが最も「残酷体験」ができます。
全く、影がない状態です。
自分の影は、CTスキャナの胴体の輪切りが靴の周りに僅かにあるだけです。
くどいですが、影、飲み物、一切ありません。久米島の「はての浜」で「残酷渇き地獄体験」いかがですか?

久米島へはフェリーで、ホエールウオッチングやトビウオも!

沖縄へ行こう!と思い立ったら、離島巡りもしたいはず。沖縄旅行の最大の理由は、日本の最南県だからに決まっています。
より南を目指したいなら、宮古島、石垣島。名前からして期待できます。物凄い美しい海は、誰もが感動するに決まっています。
そう言うチョイスでいけば、宮古島、石垣島に観光客が溜まってしまいます。

「より南」にこだわらなければ、少し視線を変えるだけで、360°全周、
白浜とエメラルド・グリーンを満喫できる、「はての浜」がある離島があります。
「久米島」です。
久米島は沖縄県の離島の中で、琉球王朝時代の最も由緒ある島です。
琉球繁栄期の面影をいたるところに見つけることのできる島で、琉球王朝歴史探訪とマリンスポーツの両方を楽しめるお得な島なのです。

久米島は、遠くを目指す観光客からすれば、沖縄本島からの距離が不十分とされるのでしょう。
他の離島に比べ渡航者は少ないようです。また、「より南へ」の要求には答えられません。
那覇から真西に100kmですから緯度が那覇より南ではありません。そこが狙い目です。
私の妻がこの島の出身と言うこともあって、両親が久米島で健在ですから、私は、頻繁に渡航します。
高齢の両親の様子を伺に行くので、目的は観光ではありません。
そう言う訳で、どちらかと言えば、久米島を観光客目線ではない見方ができます。
その眼で見ると、久米島は「観光ズレ」していないように感じます。ようするに、「どこでも久米島グッズ」とか、
目に余る状況ではないので、素朴な味を楽しみたいなら久米島のチョイスは正解です。

久米島への足は、漕ぐか飛ぶの2者があります。空は便数が充実しています。フライトは30分です。
飛行機の特質上、前後に30分ほど必要です。私は、敢えて海路をお勧めします。
海路は約3時間です。現在は新旧のフェリー2隻体制で運航されており(※フェリー琉球かフェリーくめしまのどちらか)、
新船の「フェリー琉球」の設備はエレベーターもあって快適です。
何と言っても、冬場なら高い確率で「ホエール・ウォッチング」がオマケでついてきます。
フェリーと同じ速度で海面を飛んでいるトビウオも見られます。

久米島海路はホエールウオッチングがオマケかも

久米島へのフェリーは一日二往復の日と一往復の日があります。途中、一便は「渡名喜島」へ立ち寄ります。
渡名喜島には空港がありませんから、渡名喜島島民の足は、自家用船以外では、このフェリー航路のみです。

写真は、「フェリー琉球」の全通甲板舷窓からの風景です。さて、久米島が見えてきました。
到着する港は、島の南海岸にある「兼城(かねぐすく)港」です。